太平洋美術会 会員
部
心の原風景を描き続けた画家
香川県詫間町に生まれ、20歳の時から神戸洋画研究所にて本格的に絵を学ぶ。今井朝路、藤田嗣治らに師事し、1932年から3年間二科展に出品、その後は独自の研究で制作に励んだ。穏健だが輪郭にこだわらない、しっかりした筆致で対象を的確につかむ作風を確立した。
その後教職に就くも絵画習得意欲捨てきれず渡欧就学のうえ精進する。静物や人物を描いても一貫して貫いているのは風景を愛したということだろう。光が染める様々な表情をとらえて、自然の神秘の不思議さに感嘆しその美しさを表現した。いわゆるこの作家の本質は現実の光に打ち震える自然への、そして風景への抜きがたい憧憬的傾斜があった。単なる自然の再現風景ではない、現実に即しながら心象の風景を高める「心の原風景を求めて」描いた作家である。(出典 北岡数彦の世界 美術評論家 弦田平八郎)
1954年港南洋画研究所を創立し後進育成をしながら大平洋美術会に出品を重ね、受賞し、会員となり、太平洋神奈川支部創立の立役者となる。神奈川支部2代目の支部長を歴任。
画歴
1910 香川県詫間町に出生
1928 神戸洋画研究所にて 今井朝路、藤田嗣治に師事
1931 渡米就学 二科展に出品授賞以降同会に所属
1933 渡欧就学
1935 二科展を退会
1949 教職に就く
1952 教職を退き渡欧就学
1954 港南洋画研究所を創立
1955 太平洋展にて受賞、同会会員に推挙
1957 太平洋美術会神奈川支部創立副委員長に就任
1961 太平洋美術会運営委員に就任
1966 太平洋美術会神奈川支部長に就任。 太平洋美術会参与に就任
1975 太平洋美術会神奈川支部長を退き同相談役顧問に就任
1979 4月11日逝去