太平洋美術会 会員
部
どんな人
小時より 素志 翻し難く、東大を中退し、もともと好きで
あった画道に入り太平洋美術会研究所にて学び、純粋に
孤高の精神を持ち続けて画業に専念した。
「装飾的絵画は、結局は工芸や応用に繋がれるもので、
一応都会的と言える、僕の愛する芸術は、写実的というより
むしろ自然的藝術であって、最も好きな画家は西洋では
レオナルドとセザンヌ・・。日本では雪舟と広重、探幽。探幽は
表面的画家のように思われるかもしれないが,流石にその
観察はすこぶる鋭く、かつ新鮮である。・・」と述べる作者は
独自の芸術論を持つ論客であった。
生涯を通じて画期的な三つのことについて本人は言う
1.木炭による単色風景画 生涯2000枚を描いた。これは私の芸術観を確定した
ヒュウザン会での経験が原点になっている
2.10歳で人物画を始めて描いた。洋画家としてこれが恥ずかしかったので、それから
10年間集中して太平洋美術会研究所にて勉強した
3.60歳になり水彩による肖像画を描いた。その数約560枚
(抜粋 作画50年記念展画集)
主な著書
「ミレー」 「ロートレク」 「ファン・ゴッホ」 「オディオンルドン」 「アラファン ゼリコ」
「遊欧回想録」 「雪舟論」
画歴
明治24年熊本県山鹿町にて出生
郷里の中学、七高を経て東大英文科に進む
東大中退して本郷研究所に学ぶ
二科、光風会,樹社、春陽会、等に出品。春陽会では受賞に至るも故あり同会を退会
1930~1931年の間イタリア、ドイツ、オランダに遊学
太平洋画会神奈川支部設立に参加 横浜美術協会の会員