太平洋美術会 会員
名誉会長
絵画部
神奈川支部
どんな人
敗戦後入社した日清製粉は川崎の工場地帯にあり、日本の高度成長時代の波にみずからも身をおいた経験をもとに、そこに働く人物群像を作品にま
とめた。日本の屋台骨となる高度成長時代を支えた夜の工場街や、人物群像を好んで描いた作品は、洋画家鈴木克久にとって切り離すことのできな
い情景の一つとなり、彼の代表作となるジャンルとなった。絵を始めるまでは、ぼさぼさ頭で楽器をもってバンドを結成するなど、なりふり構わず
自分の進路をさまよい続けていたが、ほとんど行ったことのなかった理髪店で、そこに飾ってあった川村信雄の一枚の絵に感銘を受けた。その頃は
楽譜をやっていて、これは一生やるものではないと思っていた矢先にその絵に出会った。それは風景画であった。「絵ならば一生できるじゃない
か」。それから川村画塾に通って本格的に勉強をした。と語る彼の原点はやはり川村画塾にあるのだ。 田舎から都会に出てきて友達がたくさんで
きた。喜怒哀楽の感情、いろいろなタイプの人がいることに興味を持ち、風景より人間のほうが感情を描くことができるのではないかと考えて、人
間と群像を意識的に主なモチーフとし人間性を余すところなく描き続けた作家である。 (抜粋 Art Jounal 2001 対談 朝日晃・鈴木克久)
画歴
1929 茨城県久慈郡太子町に出生
1961 川村信雄に師事 太平洋美術会に入会
第57回太平洋展初出品 以降継続出品
1966 第62回太平洋展受賞 1968 年第64回受賞 同年会員推挙 第67回から70回展会員秀作賞受賞 第75回内閣総理大臣賞受賞
第17回~19回 安井賞に入選 1986年国際美術大賞フランス展にて大賞受賞 1997年第6回個展(せんたあ画廊) 1998年安田火災
美術財団奨励賞受賞
1999 太平洋美術会副会長就任
2003 太平洋美術会 会長就任
2008 太平洋美術会 名誉会長就任
2014 7月2日 心不全にて逝去 86才